昭和60年度 会計検査院の指摘事項と解説

平成18年 分教室 記

調査期間          昭和60年5月13日〜5月17日

説明資料作成完了    昭和60年6月25日 本県から文部省に提出

指摘事項
地元小学校および中学校の施設内特殊学級(情緒障害)に当学園(教護院)の児童・生徒が含まれ授業がなされている。 教護院に入所した児童・生徒を学校基本調査に記載することは誤りである。従って標準学級数の算定基礎となる児童・生徒には該当しない。

指摘の趣旨
 法によれば、教護院に入所する児童は、就学義務の猶予または免除を受けて入所させるべきであり、学校教育以外の施設職員(教護・教母)による「学科指導」でもって学習指導を行うものである。なお、施設職員は生活指導・職業指導・学科指導等の生活全般にわたる指導を行うこととなっている。
 ところが、当学園の場合は、就学義務の猶予または免除の措置を行わず、児童の学籍を異動して地元小学校及び中学校の児童生徒として学校基本調査に計上している。学校基本調査に計上することにより自動的に標準法や義務教育費国庫負担制度の対象となるため、派遣教員の給与等の国庫補助を受けることとなる。
  したがって、当学園は福祉と教育の両面から国庫補助を受けることとなり、これは国費の二重給付に当たる。よって、これまでの重複分を返還すべきである。

結果

昭和60年12月19日付文部省通達

教護院内で学校教育を行うことになれば、入院中の児童生徒に対して教護と学校教育とが行われ、結果としては、いわば手厚い行政が行われることになるが、両者は目的を異にするものであり、それぞれの機能が適正に行われている限り、国費のダブリないしは二重取りというようなことにはならないものである。


解説

 昭和20年代後半から、教護院における義務教育化の動きが起こり、昭和29年には福岡県の福岡学園内に分校が設けられた。
これに呼応して、当時の本学園長小嶋直太郎が要請し、昭和29年3月26日付本県教育委員会教育長より文部省初等中等教育局長あてに「教護院にある児童生徒の学籍取扱いについて」の照会が出され、その回答(行政実例)が次のようであった。

  『児童生徒が教護院に入所した場合の就学義務の取扱いについては、現行法上は、学校教育法第23条に規定する「その他やむを得ない事由のため」就学義務の猶予又は免除を受けるべき場合と解するべきで、「出席停止とみなし、その児童生徒の学校教育を教護院長に委託したものと認める」ことはできない。指導要録については、その写を校長から教護院長に送付し、児童生徒の入所中の教育に資するとともに所要事項の記入を依頼することが望ましい。』

  つまり、教護院に入所する児童は就学義務の猶予または免除の措置をとり、学校教育の枠の外に置いた上で、教護院に入所させ学科指導を受けるものであるとされた。

 当時の児童福祉法では、その第48条で教護院のみを就学義務から除外していたため、学校教育を導入することはできなかった。

  これに対して小嶋直太郎は、これは児童の教育権の侵害だとして、昭和30年に当時本学園のあった地元教育委員会および本県教育委員会に対して学校教育導入をすべく、教員派遣の要請を提出した。以来12年後の昭和43年に、学園が移転した地元教育委員会および本県教育委員会の許可を得て、学級(情緒障害児学級)が開設され教員派遣が実現した。その後、昭和40年代で全国で7施設が学校教育導入を果たした。

  こうした施設が学校教育を導入できたのは憲法第26条のや教育基本法第4条の教育権の保障という観点に立ち、教護院は学校ではない(学校教育法第1条)から学科指導は義務教育に当たらないと、都道府県教育委員会や市町村教育委員会にねばり強く申し入れを行った結果であった。文部省も学校教育導入を正面から否定せず、地元教育委員会と教護院が十分協議を行って実施に踏み切れば認める姿勢を示していた。

 ところが会計検査院は、法の厳正な遵守を行わなければならないと指摘し、その理由として国費のダブリの疑いとしてきたのである。これは一重に教護院に対して指摘されたものばかりでなく、各教育委員会ひいては文部省に対しても指摘されたものであった。

  そこで、この会計検査院の指摘に対して、まず本県が説明書を提出し、次いで本県から文部省に照会が行われた。こうした動きの中で、会計検査院と文部省との折衝が行われ、10月下旬に「この案件は問題にしない。ただし、取扱い方法を明確にして全県に徹底すべきだ。」と条件付きで不問とされた。

 取扱い方法の明確化として、文部省初等中等教育局は12月に通達を出している。